第33回古美術・茶道具展 和美の会 図録
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古朝日茶盌が茶陶を主として製作したとも伝えられ、遠州七窯の一つとされる。慶安(一六四八─五二)ごろから一時絶え、嘉永年間(一八四八─五四)に八世松林長兵衛が再興してから引続いて現在に至る。径 一一・三糎高  九・四糎正保(一六四四─四八)ごろには小堀遠州の指導により奥村藤作 3 4織田貞置作 共筒茶杓長 古筆了仲極一八・六糎織田貞置 元和三年─宝永元年     (一六一七─一七〇四)織田信貞(信長の九男)の子。五郎左衛門と称し、徳川将軍家に仕えて千石を知行。茶湯は織田有楽の孫の三五郎長好に学んだ。山花老人・三過(三世過老)・黄雀軒・如鳶子・文芳翁・永年堂などと号した。55

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